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今回のタイトルは「共同性と公共性について考える~運動としての総合政策」。担当は長谷川計二教授です。
私たちの暮らす三田市にはたくさんの地域課題がありますが、
同時にその解決に向けた地域に根ざした市民団体があります。
今日の講義では、こうした市民活動がいったいどういう課題を本質的に抱えていて、またその市民活動による課題解決はいったい何によって受け入れることができるのかについて考えてみます。
そのためには、いったん原理的なレベルにまで立ち戻る必要があります。
現代市民社会では、
1. 自己決定(自分が「よい」と思うことを行う自由があること)と、
2. 合意の尊重(みんなが「よい」とすることは大切にしよう)
という2つの基本的な価値が存在します。これらの価値が、「共同性」と「公共性」の関係についてどういった意味を持っているか、2つの手がかりでもって考えてみます。
手がかり① 500円のゆくえ
ルール:
・ みなさんは500円ずつ持っています
・ 誰かとペアを組みますが、誰とペアになっているかはわかりません。お隣の友人かも知れませんし、言葉の通じない宇宙人かもしれません。
・ ペアの相手に自分の500円を渡すかどうか、選択できます。
・ 渡せば、相手はあなたの500円と、おまけの500円が天から降ってきて合計で1000円を得ることができます。
・ 渡さなければ、あなたの手元には500円がそのまま残ります。
・ あなたが渡さず相手が渡してくれれば、あなたは1000円(相手が渡してくれた500円+天から降ってきた500円)+手元の500円=1500円を獲得できます。
・ 逆に、あなたが渡して、相手が渡してくれなければあなたの手元には何も残りません。
このルールをまとめると、次のような表になります。
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みなさん | ||
渡す |
渡さない | ||
相手 |
渡す |
1000・1000 |
0・1500 |
渡さない |
1500・0 |
500・500 | |
お互いに信頼し合い、自分の500円を差し出した場合、
双方が得をし、1000円ずつを得ることになります。
あなたが相手を信頼し500円差し出したにもかかわらず、相手が出さなかった場合、あなたの所持金は0円、相手は1500円を持つことになります。
逆の場合はあなたが1500円、相手が0円となり、最後にお互い渡さなかった場合は、最初と変わらず500円ずつを所持することになります。
これは北海道大学の山岸教授が行った実験なのですが、ではいったいどういう状態が実現すると思いますか。
合理的な個人(自分の利益が最も大きくなるように行動する個人)であれば、みなさんは渡さず相手も渡さない、つまりどちらも500円ずつ持っている社会が実現するはずです。
でも、みなさんが渡し相手も渡してくれてお互い1000円ずつ持っているという状態が、どう考えても2人にとってよりよい状態のはずです。
よい社会(公共性の高い社会)があるにもかかわらず、個人の考えるもっとも理性的でよい選択(自己決定)にまかせると、「みんながよい」と思う(合意の尊重された)状況は実現しないのです。
しかしこで重要なのは、皆さんの中で少なくない割合の方々が「相手に差し出す」という選択をしていることです。なぜでしょうか。
もうひとつの手がかりをみてみましょう。
手がかり2:好ましくない本の扱いについて
昔、「チャタレイ夫人の恋人」という本が出版されたとき、その内容が公序良俗に反するとして、発禁処分になりました。
この本をある友人から手に入れてしまった親子のジレンマがここでのテーマです。
堅物の父親はこのように考えます。
・こんな本は誰にも読ませたくない、直ちに焼き棄てるべきだ!
・しかし、友人に会ったときに感想を聞かれたら困る。読んでもいいかもしれない。
・だが、息子が読むことはまかりならん。
高校生の息子は次のように考えます。
・たかがこの程度の本だ。堅物親父に読ませるのもいいかもしれない。
・親父が読まないのなら、暇つぶしに読んでみようか。
・せっかくの本だ。棄てるのはもってのほかである。
ここで、記号化して考えてみます。
φ:棄てる、F:父親が読む、S:息子が読む、で表すことにしましょう。
父親の気持ちは、φ>F>S、息子の気持ちは、F>S>φとして表せます。
最終的に2人は合意に至ることができるでしょうか。
2人が一致しているのは、「息子が読むくらいなら父親が読む」というF>Sという部分です。
父親の権利(自己決定権)はφ>F(読むくらいなら捨てる)です。
息子の権利はS>φ(捨てるくらいなら自分が読む)です。
自己決定権と合意の尊重という2つの価値を維持するのであればφ>F>S>φとなり、決定不能となります。
「読むか読まないかを自分で決定する」という最小限の権利でさえ、合意の尊重と両立しない場合があるのです。これは、アマルティア・センという人の「リベラル・パラドックス」の一例です。
この2つの手がかりは、私たちの社会について考える上でどんな意味を持つのでしょうか。
さて、社会はこれまで、政府・企業という2つのセクターに大別されていました。
政府(Public Sector)は、「全体への奉仕」を目的としています。
そして、企業(Private Sector)は利潤を追求しています。昨今の「官から民へ」という流れや、ニーズの多様化によって、公共性の裂け目が生じてきました。この政府と企業の中間、裂け目に存在するのが、ボランティア、NPO・NGOに代表される市民セクター(Civic Sector)です。
通常その力はあまり見えませんが、政府も企業もうまく機能しない場合、市民セクターは大きな力を発揮します。
たとえば、阪神淡路大震災のとき、食料が全国から届きました。
全体への奉仕者である行政は、その食料が被災者全員分確保されるまで(公平性が担保されるまで)は、配分を行うことができませんし、企業も非常事態においてはまずは自社の生産再開を優先せざるをえません。
ここで、迅速に食料を配分できるのは、「必要な人がいるから」「やむにやまれない」という思いから行動できる市民セクターだったのです。
このように市民セクターは独自の行動基準を持っています。
この独自の公共性追求の判断基準の下支えとなるのが、「地域の暮らしとつながっている」という共同性なのではないかと考えています。
市民セクターで公共性を追求する行為は、ある意味でとてもリスキーです。
この点については集団の安定性についてのバランス理論を援用して考えることができます。
三田市では同じような課題をもった市民活動団体がたくさんありますが、はたしてその間の連携は可能なのか。
ここから先にご関心をお持ちの方は、ぜひまちづくり協働センター市民活動推進プラザをおたずねください。
コミュニケーションの中から、あるいは市民の活動という具体的な運動の中にこそ、共同性と公共性のリンク(結びつき)があるはずですから。
第4回目のテーマは、
「生徒会と自治会は何のため?―デモクラシーと総合政策―」。
村上芳夫教授のお話でした。

『自治』という言葉は知っていても、その本質をどれだけの方が理解しているでしょうか?
生徒会や学生自治会をはじめ、身近な組織を例に挙げながら、『自治』の本当の姿を見ていきましょう。
生徒会・学生自治会と聞くと、懐かしい言葉のように聞こえる方もいれば、
高校生・大学生のみなさんの中には、
よく知るお友だちの顔を思い浮かべる方もいるかもしれません。
では一体、生徒会・学生自治会とはどういう組織なのでしょう。
生徒会・学生自治会を定義的な言葉にすると、
『学校の全生徒あるいは全学生で組織されており、その組織そのもの、
ないし組織の自発的な活動』となります。
その役割としては、
①学校生活の充実や改善向上をはかる
②部活動などの課外活動を支援する
③学校行事への協力に関する活動
などがあります。
ただし、現在の日本においてはあくまで学校教育の「課外活動」の一環という位置付けなのです。
一方、海外での学生自治はどうなっているのでしょう。
欧米諸国では、伝統的に学生代表が大学の管理運営組織の正式なメンバーとされ、
広範に大学運営への学生参加が認められています。
そのため「強い学生自治会は、大学全体をより強固なもの」
という意識が芽生えており、全米学生自治会連盟(ASGA)という
学生自治会の発展を支援する連盟が存在しています。
このように日本と欧米諸国の間では、少し学生自治の在り方や
存在意義に違いがあるというのが現状ですが、
では今後学生自治の目指す方向性とはどういうものなのでしょうか?
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)は学生自治に関して以下のような国際標準を定めました。
-ユネスコ 21世紀高等教育に関する世界宣言(1998年)-
国および教育機関の意思決定担当者は、学生を主要な当事者として位置づけ、高等教育の刷新における主要な共同者および責任ある関係者と捉える。そこには、高等教育に影響を及ぼす諸問題、教育評価、教育方法、教育課程(カリキュラム) の改善並びに現行の制度的枠組み、政策立案および教育機関の運営に学生が参加することも含まれる。
学生は自ら組織化しかつ代表者を立てる権利を有しています。
そのため高等教育の現場で起こる諸問題への学生の参加が保障されなければなりません。
この『ユネスコ 21世紀高等教育に関する世界宣言』が
日本を含めた各国や各大学の政策にどのような影響を与え、
学生の大学運営への参加がいかに構想されるかが注目されています。
さて、ここまで生徒会・学生自治会への理解を通して
『自治』というものの姿が少しは見えてきたでしょうか?
最後に『自治』の持つふたつの側面をご紹介しましょう。
『自治』は『自律』と『自己統治』から成り立っています。
まず『自立』とは、個人や集団や共同体が他者の統制に縛られず、
自らの規範・準則・目的という規準を定立し、自らの意思で自らの行為を律することです。
次に『自己統治』とは、民主的な制度の下で、構成員の参加と同意により、
<集団の公共意思>が<個人意思>に合成されることを指します。
今回の講演の中では、この他にも町内会や地域自治体のお話もありました。
これらの自治組織への理解を深めることと共に、
個人あるいは集団の自治が進むべき道を考えるよいきっかけになるような講演となりました。
第3回目のテーマは、「三田市はこのままで大丈夫か―財政とまちづくり―」。
長峯純一教授のお話でした。
神戸三田キャンパスの位置する三田市。
その財政はどのような変遷をたどっているのでしょうか。
今回の講演会では、多数の市職員の方々にもご来場いただきました。
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2007年度の三田市の実質単年度収支は、マイナス5億円と大幅な赤字になっています。
三田市はどのような変遷をたどり、このような赤字財政となっているのでしょうか。
80年代は人口3.5万人に過ぎなかった三田市。
90年代に10万人都市となり、その人口増加率は日本一を誇っていました。
1991年に策定された「第2次総合計画」の中では、
「魅力ある20万人都市の形成」「10年後の人口目標15万人」が謳われ、
15~20万人規模の都市をめざしてまちづくりがなされていました。
人口の増加に伴い、公務員数も増加。
特に1996年、市民病院が開設されるにあたり、職員が大幅に増員されました。
財政規模は、90年代に250億円規模から400億円を超える規模に拡大しました。
歳入も90年代は、地方税収など一般財源が順調に増加しました。
しかし、90年代後半に、その増加率は急激にしぼみ、
2000年以降の人口は、11~12万人で推移することになりました。
総合計画でなされた人口想定と実態にズレが生まれることとなったのです。
これにより、それまでの社会資本整備で発行してきた地方債の負担、
そして整備されてしまった社会資本や公的サービスを維持していく費用が、
市民の肩に大きく圧し掛かる構造となったのです。
20万都市を想定して整備された可能性のある公営事業を、
12万人で支えるには過重になってきているのかもしれません。
特に病院事業、水道事業、下水道事業への繰出金が、財政全体に与える影響が大きくなってきています。
三田市の平均年齢は、これまでは他の都市と比較して若いという特徴がありました。
ニュータウンに持ち家を求める家族が、流入してきていたからです。
今後、人口は微減で推移していくと予測されていますが、同時に、高齢化も急速に進展していきます。
財政の中でも、これまで比較的少なくて済んでいた社会保障や社会福祉に関連した支出が、増大していくと予測されます。
10・20年後の医療や介護を見据え、これまで整備されてきた社会資本について、
今後の負担、維持・管理のあり方を早急に検討する必要があると、
警鐘を鳴らす講演となりました。
第2回目は、「環境保全と開発の総合政策―東洋のガラパゴス『沖縄やんばる宝の森』、世界遺産への道のり―」というテーマで関根孝道教授より講演いただきました。
初めに、屋久島、白神山地、知床などの日本の世界遺産(自然遺産)が写真で紹介された後、「もっとすごい所があります」と、沖縄県北部に広がる「やんばるの森」が紹介されました。以下、関根教授の講義の概要を掲載します。
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やんばる(山原)の森は東西10km、南北30kmほどの森林で、4000種を超える生物が生息しています。
絶滅危惧種が数多く住んでおり、ノグチゲラやヤンバルテナガコガネなどそこにしか生息していない固有種もたくさんいる、豊かな自然に育まれた生物多様性の宝庫です。
しかし、沖縄が日本に復帰した後、1980年ごろから「やんばるの森」に開発ラッシュが訪れました。森を南北に貫く林道がつくられたのをはじめ、アスファルトで舗装された自動車用の林道が網の目のように張り巡らされました。
森林が伐採され、山林を削って道路がつくられたために、赤土が河川に流れ込み、海を赤く染め、珊瑚が死滅に追いやられました。また、ヤンバルクイナなどが車に轢かれて死んだり、生物の生息地が分断され、小動物が移動できなくなるなど深刻な影響が出ています。
さらに、山を削ってつくられた林道はあちこちで崩落し、莫大な補修費が投じられています。これらの道はほとんど使われていないのにもかかわらず、今もつくり続けられているのです。
また、観光事業にともなう水不足を補うという理由で超巨大ダムが建設され、広大な森が根こそぎ消失しています。さらに、ダムを作った際に出る大量の土を、「住宅整備事業」と称して珊瑚が生息する海に埋め立てています。
本来であれば、環境に及ぼす影響がきちんと検証された上で事業が行われるべきところですが、建設されている道路の幅が、法律で定められた環境アセスメントの対象となる幅を下回っているために、アセスメントが実施されないまま開発が進められています。
沖縄の林業は、国の補助金政策によって成り立っており、造林することによって(実際は森林を破壊することによって)、国から補助金がおりるしくみになっているため、ブレーキをかけられることがないまま事業が進められてきました。
それでは、どうすれば豊かな森を守ることができるのでしょうか。まず林道事業全体について環境アセスメントを実施することが必要です。
自然を破壊し、生物を絶滅においやる事業を見直すことが喫緊の課題であり、その上で、自然を再生する制度を整備する必要があります。
そして、世界遺産への登録をめざして、やんばるの固有の資源を活かして地域発展をはかることが重要です。国や県の実施する公共事業に頼った20世紀型の破壊型開発から、地域住民が主体となる内発的発展への転換が必要なのです。
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講演のはじめから終わりまで、数多くの写真を通して、やんばるの森の現状をとても分かりやすくお話しいただきました。
上の概要はごく大雑把なもので、実際の講義では沖縄の島々の空港開発の状況や、生活ごみが大量に廃棄されている現状など、環境破壊の現状を多岐にわたってお話いただきました。
来場者からは、「日本に未来はないのではないか」という声と同時に、「総合政策の意義は、こういった状況に対して手を挙げて『それはおかしい』と言える人間を育てることだ」という指摘をいただきました。
新学科開設記念プログラムの一環として教職員ともに準備をしてきた連続公開講座、ついに始まりました!
第1回目の講演会のテーマは
「大学とは、そして総合政策とは何か-ヒューマン・エコロジーから哲学まで-」
高畑教授にご担当いただきました。
三田駅前のキッピーモール6階、春の夕暮れに20名あまりの学生・市民の方々が集まりました。
15年前に三田の荒野を拓いて学び舎を築き、390名の新入生を迎えて以来、 三田市に根を張る関西学院神戸三田キャンパス(KSC)の学生数は増え続け、2012年には4500人に上る見込みです。
しかし、大学・学生と地元である三田市との連携は順調に進んでいるとは言えません。
大学と新三田駅でしか三田というまちを知らない学生がほとんどかもしれません。
そのような現状のなか、連続講座の導入として、高畑教授は改めて「大学」や「総合政策」とは何か、果たすべき役割は何なのかを問いかけます。
今回の報告では、高畑教授の講義の導入部分を紹介したいと思います。
大学の起源は3つのタイプに分けられる、と高畑教授。
1つは、貴族の子息たちが資金を出し合い、教師を共同で雇うために作ったギルド。ここでは、ボローニャ大学タイプと呼びます。
2つ目は、神学を究めるため、自分たちの後継者を養成しようと、聖職者たち(教師)が結成したギルド。パリ大学タイプと言いましょう。
そして3つ目のタイプが、後進国のキャッチアップのため、国を挙げてつくる公務員養成のための大学。(宗教改革の旗手、マルチン・ルターの勤務先であった)ドイツのヴィッテンベルク大学や、日本の東京大学がその例となります。
さて、この3つのタイプがいわば混じり合うかたちで、ヨーロッパへのキャッチアップをめざして作られたのが、アメリカの大学です。
アメリカの伝統的な大学、例えばハーバード大学やエール大学では、4年間の学部の学びで「教養」を身に付けます。 教養を身に付けてはじめて、ビジネススクールやロースクールや大学院で専門性を磨いていけるのです。
この点、総合政策学部は、アメリカ型の大学の学びの特色を持っていると言えるかもしれません。
社会の事象を、あらゆる学問領域で幅広く捉え、解決への実践に導く。 それは“教養”そのものです。
この講演では、まず、「死」の問題をテーマに選んで、生物学から、医学・保健衛生、医療行政や脳死・臓器移植等の政策課題、そしてヒトはどう生きるべきかという哲学まで、多層な視点で問題発見・解決をさぐる「総合政策」的アプローチを紹介したのち、近代的な都市としての三田の歩みをヒューマン・エコロジーの立場から紹介しました。
4学科体制で新たな一歩を踏み出した関学総合政策学部は、何を目指して歩いていくのか。
考え直すきっかけとなりました。
参加者からは、
「三田(市民)と大学の共生・発展に大きな期待を持っている」
「人類学を通して三田の発展、三田と大学のつながり等も知ることができ参考になった」
という声が寄せられました。
連続公開講座の内容は、関学出版会から『総合政策のニューフロンティア』として出版予定です。
お楽しみに!
新学科開設記念連続公開講座
「総合政策のニューフロンティア」
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